どうしてしまったのだ中高生
2008年8月13日(水)
最近どうにも理解しがたい理由の中高生による事件が増えている気がする。
直近だと7月20日に稚内商工高の男子生徒が、携帯電話サイトに他の生徒の誹謗中傷を書き込んだとして学校から注意を受けたその日の夜に自殺を図っている。(学校側は停学処分を母親に電話で伝えたが、本人には翌日伝える事になっていた)
7月19日には埼玉県川口市の女子中学生が、自分の成績が落ち、全てが嫌になり生きているのに疲れたとして父親を文化包丁で刺して殺害している。(後に家族全員を殺し自殺するつもりだったと言っている)
いずれも確かに何らかの理由がある事件だ。だが、どうしてそのような行動に出るのかどうしても理解に苦しむ。
あまりにも未熟すぎないか?
稚内の男子生徒はおそらく停学処分となる事を母親から聴かされたと思うが、なぜ停学処分ごときで自殺に走るのか?
精神的につらいのは分かるが、自宅に書き残してあったノートには『自分は殺す。死ね。と軽々しく書いたので(中略)ケジメをつけるために死のうと思う』
としている。
自身は軽々しく書き込んでおいて、それをとがめられるとケジメをつけるために死ぬ???
小学生ではあるまいし幼すぎる。
この場合せめてもの救いはこの生徒の書き込みによる犠牲者がいなかった事だろう。
埼玉県の女子中学生の場合は試験の結果が悪く、その事を知られたくなかった事がきっかけとなっているが、それ以前から何らかの悩み事があったのだろう。
だがどうして『本当の事を話すと母親や弟がつらい思いをすると思った』
とはいえ、その解決策が家族に死を与えることになるのだ?死んでしまえばつらい思いもしなくて済む、と考えるのは自分に対してだろう。
家族につらい思いをさせたくないという心遣いは理解できなくなくもないが、その家族が死ぬ事でより多くの人達につらい思いをさせる事には考えが及ばなかったのだろうか。それとも、すべて計画通りに行けば自分も死んでいるので自分自身はその心配をする必要がないと考えたのか?あまりに身勝手すぎる。
二つの事件ともそれなりの動機はあるが解決方法があまりにも短絡的だ。
本人達には気の毒だが、どうして行動に移す前に一歩踏みとどまり(つまりその行動の結果を考え)問題に対処または我慢(時間が解決してくれる場合もある)出来なかったのだろうか。試験の成績が悪かったり停学処分を受けただけで精神的に追いつめられているとしたら未熟すぎる、弱すぎる。
言葉に出して相談できなかったのか?
この二つの事件を見ると、全て自分自身の判断による行動の結果であり、他人のアドバイスや忠告を受けていないように思える。人生経験が浅い中で誰にも相談せず全て自分で解決しようとしている。
彼らには相談相手などはいなかったのだろうか?身時かな存在だともちろん両親だろう。もっと気楽な相談相手は同級生だろう。
最近の似たような事件を見ると、どうも人と人との関わり方が非常に下手になってきているように感じる。人間同士の付き合いでは意見の相違もあるし、場合によっては自分が折れ、または相手を従わせなければならない。全会一致などはほとんどないのが普通だ。
だかKYなどという言葉に代表されるように勝手な思い込みで相手との会話が減ってきているように思える。
人間にはテレパシー能力などは無い。言葉に表しその意志を伝えなければならないのだ。
結局のところ自分自身や相手を傷つけたくないという思いが強すぎて、KYや勝手な思い込みで意見交換や対話を避けているのではないだろうか。
この状態はものすごく孤独で空虚だと思う。周りはこう思っている(と思い込んでいる)、自分の考えは伝わっている(と思い込んでいる)と勝手に考えている訳だ。傷つきたくないという思いで心に壁を張り巡らし、ひとりぼっちで空っぽで真の友人などいない。
解決策はあるのか
この状態から抜け出すためにはその心の壁を自身の手で取り壊さなければならない。そのためには何か強烈な体験、感動が必要だ。心の内面から勇気を振り絞り、その壁に風穴を開け自分の思いを他人に伝えたくなるような強烈な動機が必要だ。
そのためにはまず自己の確立が必要だと思う。多少難癖を付けられても、間違っていても自己の主張を曲げないほど強く自分自身で考え抜いた結論が必要だ。
これは自分自身で見つける他には無い。そのためには孤独になる必要もあるのではないだろうか。あえて孤独を選び、その中で自分自身をしっかりと見つめる時間が必要だ。
幸いな事に中高生にはそれに没頭できる時間がある。ぜひこの夏にそれを実践してもらいたい。







