『見えるもの⇔見えないもの』@芸術の森
2009年2月28日(土)

札幌芸術の森で開かれた展覧会『見えるもの⇔見えないもの』と『片岡珠子の裸婦』
芸森で開かれている展覧会『見えるもの⇔見えないもの』と『片岡珠子の裸婦』を見に行った。
副題が『〜イマジネーションのちから〜』と付いている『見えるもの⇔見えないもの』であるが、こちらは4部に別れていて、『見えないもののすがた』、『想像の中に生きるもの』、『見知らぬ現実』、『もう一つの世界』となっている。
作品数はさほど多くはなかったが、大判のものがあり、視覚に訴えるインパクのある作品が多かった。
最初の『見えないもののすがた』では、大本靖の昭和新山(A)が北海道人にはおなじみの昭和新山を直線的な太い線で表現し、マグマの力により突然地表に表れた昭和新山の姿を力強く表していた。
藤本俊子の生と死(野原にて)は、混沌とした線の朦朧とした集まりの中にかろうじて捉えることができる、花(生か?)と、ドクロの鼻腔と歯(死か?)のイメージがあり、印象的だった。
どちらの作品も、作品名が表すイメージを、そのもの以外で表現しようとしており、見る人により感じ方が異なる『見えないもののすがた』を、各人の感性で見させ、ある意味作家の表現力を鑑賞者の想像力に委ねている作品と感じた。
次の『想像の中に生きるもの』ではアフリカの部族?の仮面が想像力をかき立てる。
呪術に使われそうなデフォルメされた表現が印象的だ。この手の仮面は、以前三重県にいた時にマコンデ美術館で見た事があるが、今回展示されているものの方がより野性的と感じた。おそらく現地では部族の祝い事などに使われたのだろうか。技術的にはマコンデの仮面の方が繊細な表現であったような思いがあるが、今回の各部族の作品はもっと原始的でより太古を感じさせられた。
『見知らぬ現実』では米谷雄平のさうすぽいんと04-bが視覚に飛び込んできた。私の好きなヴァザルリのような立体感を感じた。
ヴァザルリと違うのは、こちらの方が曲線を中心とした形状と色彩で、凝視していると吸い込まれるような感覚を表しているところだ。特に右側の作品は、一瞬作品の中に取り込まれるような錯覚を覚えた。
最後の『もう一つの世界』は大きな佐藤武の作品が目を引いた。
特に、不安な時代Ⅰ、記憶の都市、雨上がりの3作品は、砂漠の中の都市?の上空に浮かんだ物体を極端な遠近法でデフォルメしており、その不安定な形状が、見るものを心理的に不安定な状態へ誘導するような効果を発しているように感ずる。
絵にちょっと近づきじっと見ていると、地上の都市とのアンバランスにより、こちらに落下してくる都市の破片の真下にいるような感覚になる。
正常な精神状態では感知出来ないもう一つの世界を垣間見る気分になれる。
今回の展覧会は作品数は決して多くはなかったが、様々な作品を目にすることができ、全国各地を巡回する、著名な作家の展覧会でなく料金もリーズナブルで大変良かった。
今後もこういう企画展をぜひ続けてもらいたいと感じた。






