2012年3月16日(金)
3月10日にNHKで放送した「世界から見た福島原発事故」を見て驚いた。
同じマーク1原発でも、国によりここまで安全性に差が出るものかということだ。
福島で事故を起こしたGEのマーク1原発だが、設計に問題があることは70年代にはわかっていた。
それは格納容器が小さすぎるため、万一原子炉の冷却が効かなくなり炉心溶融が起きて水素が発生した場合、圧力が上がりすぎて建屋内に水素が漏れでてしまうというものだが、同じマーク1原発を使っているスイスのミューレベルク原発ではこのことに気づき、建屋全体を巨大化し、頑丈にして機密性をもたせ、二重の格納容器のようにしているのだ。
この設計変更はスイス独自の判断によるもので、他にも、ベント弁は電力がなくても高圧の窒素と空気圧で開くようにしてあるし、ベントにより放出される放射性物質を外に出さないような化学薬品を使ったフィルターまで追加してある。この化学薬品で放射性物質を1000分の1にすることができる。
さらに、福島で問題となった全電源喪失による冷却不能に対応するためには、原子炉本体とは全く別系統の冷却システムを独立した電源システムで作り上げ、しかもその冷却システムは二重化してあるのだ。
マーク1原発の生みの親のアメリカでさえ、9.11のテロを受け安全対策に乗り出し、全電源喪失に備え、計器類に電力を供給するポータブル電源装置を用意してある。
一方日本は、契約のせいかもしれないが、GEのオリジナルの設計のままで、NRCからの指摘で取り付けたベント弁も、電動でしか動かすことができない構造だ。建屋の構造も強化・機密性のアップは行なっていない。
放射性物質を外に出さないための化学薬品を使ったフィルターもついていない。日本は水の中を通すだけで、化学薬品は用いられていない。この設備があるだけで事故後の影響は相当に違っていただろう。
全電源喪失にいたっては、アメリカNRCの説明を受けながら何もしなかった。
このスイスやアメリカと日本の取組みの違いは一体どこから来るのだろうか。
極端にいえば、それは自分の頭で考える事の欠如だと思う。
番組でスイス原子力会議ブルーノ・ペロー副議長の言っていた他人任せ、メーカー任せでは駄目なのです。安全対策は自分で決断しなければいけません
との言葉が非常に重い。
彼は来日のたびに追加の安全装置について語っていたようだが、日本はGEやアメリカの規制当局も何の指示も出していませんから
として聞く耳を持たなかった。思考停止状態だ。万一の事態に考えが及ばなかったのだ。
日本人は決して他人の進言を受け入れない頑固者でもないし、柔軟な発想もできるはずだが、なぜか集団となると一度思い込むと修正が効かなくなってしまう。
このあたりは軍人個人としては太平洋戦争に反対していた幹部が多かったのに、結局戦争に突き進んでしまったこととどこか似ているような気がする。
戦争については完敗して初めて無謀さに気付かされたようだが、今回の原発事故も大事故が起きて初めて安全軽視に気がついた。
戦争と原発事故は違うが、大打撃を受けないと現実に向き合わない傾向は60年以上たっても変わらなかった。
これからどれだけの大惨事を我々が体験しないといけないのか、考えると気が滅入ってしまう。
今後起きそうなことは、首都直下地震による首都機能の喪失だろうか・・・。
この番組は16日に再放送される。動画サイトでも見ることができる。
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